「タートル・アイランド~『亀の島』の不思議な人々」vol.6

*第6回は、2回にわたりカリフォルニア・インディアンについてお届けする後編です。

【カリフォルニア・インディアン】text by:越川威夫(Takeo Koshikawa)

今回は、前回に続きカリフォルニア・インディアンについて、もう3部族紹介したい。 オローニ族、ミッション・インディアンは、インディアン・トライブである。
しかし、「居留地ライダー」はオートバイのグループであるが、とてもユニークなので 現代版トライブとして紹介したい。

*オローニ族

聖地保護運動のサンフラシスコの部族
サンフラシスコから東に約50キロ、南に約150キロの広大な地域に居住したオローニ族に於いては、今まで数百もの貝塚が発見されている。特にバークレー近くのエミリービルは全米で展開する「聖地保護」運動の象徴とも言える。エミリービルの大貝塚は、現在巨大ショッピングセンターの真下に位置し、数千体の遺体が埋葬されていると考えられているが、買い物に訪れるほとんどの人々は全く知らないのであるから、大変恐ろしい話である。しかし、「聖地保護」運動と言えば、何と言ってもアルカトラス島が有名である。

オローニ族の聖地、アルカトラス島。(©Takeo Koshikawa)

アル・カポネ等の収監で有名なこの「監獄島」は、オローニ族だけでなく近隣のインディアンにとって数千年の昔から特別な儀式を行う聖地であった。アルカトラス島は、連邦刑務所が閉鎖され廃墟となったサンフランシスコに浮かぶ島。
サウサリート他の港から多くのインディアンとサポーターが上陸し、1969年11月20日から翌年6月11日まで占拠したのだ。当時、デニス・バンクスらAIM(アメリカン・インディアン運動)を始めとして、マーロン・ブランドやジェーン・フォンダ等の著名人が応援した。まさに「聖地保護」運動の先駆けとも言えるものであった。
オローニ族はミォーク族らと同じペヌート語族に属し、やはり北から5千年ほど前に移住して来たと言われている。特に、気候と食べ物に恵まれ、土着信仰が強いオローニ族は、定住型で数千年も移住しなかったと考えられる。結果、40ほどの小部族に分かれ、同じ民族ながら長年交流することもなく、それぞれの言語文化が大きく違ってしまい、同胞意識がなくなって行ったと言う。この言語の多様化に於ける特異性は、世界的にも非常に珍しいと言われている。
なお、欧州人の侵略時には、小部族間で交流が始まった様だが、「時すでに遅し」の感が拭えない。
サンフランシスコに訪問される機会は、是非ともオローニ族を思い出してもらいたい。

*ミッション・インディアン

スペイン・カソリックに改宗させられた諸部族
8千年も前から、カリフォルニアに徐々に移住してきたインディアン達で、ショショニ語族、ホカ語族等に属する数十部族の総称。18世紀後半から19世紀前半に、サンディエゴからサンフランシスコまでの21のスペイン・カソリック修道院に、強制的に移住させられ農奴とされた人々である。
現在、北加州の11 のミッション・インディアン部族を入れると、カリフォルニア・インディアン部族の半分がミッション・インディアンと言っても過言ではない。修道院では、地域によって様々であるが基本的に強制的にカソリックに改宗させられ、土着宗教と文化、言語を否定された。食事も最低限のカロリーしか与えられず、多くの者が疫病等で失意のうちに亡くなっている。インディアンに対する洗脳同化教育は、全米で行われていたが、主に子供中心であった様で、カリフォルニアの修道院教育は家族まとめて教育するもので、徹底していたと言える。長年、平和を謳歌して来たカリフォルニア・インディアンは、比較的温和で従順だったと思われ、一部を除いて組織的抵抗がなかった様であるが、まったくひどい話だ。
1834年、カリフォルニアはメキシコ領となり、修道院システムは崩壊したが、労働条件を多少改善された大農場主の下で、「ランチョー(農場労働者宿舎)」として生まれ変わった。
しかし、依然生活は厳しかった様で、生活が改善されたのは第2次世界大戦後の事であり、ミッション・インディアン達の苦難の歴史が悔やまれ、第2次世界大戦中の日系人の強制収容所を思い出さずにはどうしても居られない。

ミッション・インディアンの女性達の踊り。(©Takeo Koshikawa)

*居留地ライダーインディアン・バイカーの活躍
10年ほど前に設立されたインディアン・モーターサイクル・クラブで、米国NPO法人である。
本来は、インディアン・バイカーの交流グループであるが、昨年デニス・バンクスらに刺激されて、「糖尿病撲滅」をメインテーマにした「インディアン健康宣言」のロンゲスト・ウォーク3のオーガナイズを買って出たのだ。その中心メンバーである、オーランド・ビジルはニューメキシコ州のタオス・プエブロ族であるが、奥さんがミッション・インディアンという事もあり、メンバーとともに奔走しサンディエゴ地域のほとんどのミッション・インディアンのサポートを勝ち取った。

オーランド・ビジル(左端、ヘルメット)とデニス・バンクス(右端)。(©Takeo Koshikawa)
サンディエゴの海岸で、ロンゲスト・ウォーク3のセレモニー。(©Takeo Koshikawa)

ロンゲスト・ウォーク3の「健康問題」を通して、今まで政治的に敬遠していた多くのインディアン部族が、全米規模の運動に初めて賛同した意義は非常に大きい。大活躍した「居留地ライダーズ」の動きは、70年代のAIMの活動を彷彿とさせた。
百年以上前に、北米インディアンは欧州人に完全に支配され、狩猟農耕の自立の道が閉ざされ、居留地での食料の配給を待つ絶望的生活に陥ってしまった。そのためだろうか、未だ糖尿病、心臓病、腎不全等の病が多く、米国内の平均寿命が最も低いと言われている人種である。全米のインディアンの食生活は一向に改善されない現実に、彼らは、インディアンが糖尿病で滅びてしまうと言う危機感を強く持つに至り、ワシントンDCまで5ヶ月間掛けて歩き通したのだ。まさに、全米のインディアンの「健康意識」の改革に貢献したと言える。居留地ライダーは、今までアリゾナ、加州を中心に活動して来たが、このロンゲスト・ウォーク3の行進を機会に、全米組織に発展させるべく尽力していると聞いている。
アメリカン・インディアンも全ての問題を白人や連邦政府のせいにする事なく、自省を持って活動し始めた事は大変頼もしく、将来が誠に楽しみである。

これで、「タートル・アイランド『亀の島』の不思議な人々」のシリーズを終えます。 またの機会がありましたら、その他の部族も紹介したいと思いますので、その際は宜しくお願いします。

オール・マイ・リレーションズ(全ての活けとして生きるものに捧ぐ)

越川 威夫(Takeo Koshikawa)
カリフォルニア州・サンラファエル在住。
映画制作者/ナワ・カミッグ・インスティチュート(デニス・バンクスらのNPO)アドバイザー/ピアザトレーディング株式会社役員。
ネイティヴ・アメリカンと長年にわたり交流を持ち、その文化に造詣が深い。
デニス・バンクスの自伝『死ぬには良い日だ』(2010年;三五館発行)共訳者。
ドキュメンタリー映画『死ぬには良い日だ』、『ナワカミッグ・インディアンドラムは鳴り止まず』他プロデューサー。

(本コラムは楽天市場レイトレイシー原宿表参道店メルマガ会員向けに2012年6月8日配信されたものです)