「タートル・アイランド~『亀の島』の不思議な人々」vol.5

*第5回は、2回にわたりカリフォルニア・インディアンについてお届けする前編です。

音楽を奏でるフロイド・レッドクロウ・ウェスターマン。

【カリフォルニア・インディアン】text by:越川威夫(Takeo Koshikawa)

肥沃な大地がもたらした繁栄~「夢のカリフォルニア」の裏側
カリフォルニアのアメリカンインディアンは、ハリウッド映画に出てくる事もなく、一般にあまり知られていない人々である。カリフォルニアには、現在100以上の部族が存在するが、欧州人に占領されるまでは、食物が豊富で大変豊かな土地ゆえ、人口密度が北米で一番高かったと言われ、多くの部族が平和に暮らしていた。約1万年前から4千年前までの数千年間に、現在のカナダ、ワシントン州、オレゴン州を始めとした北米大陸北部より断続的に移住してきた。それゆえ、主要語族は6つにもふくらみ、大変多様性がある。その中で、2回に分けて特に6つの部族を紹介したい。

カリフォルニアには、現在100の部族が住んでいるが、歌手で俳優のフロイド・レッドクロウ・ウェスターマン(※冒頭画像)は、2007年に亡くなる前、カリフォルニア・インディアンの虐殺の歴史をドキュメンタリー映画にまとめている。1770年から1834年まで続いたスペイン・カソリックの伝道時代、インディアンは農奴として管理され、多くの命が失われた。なかには、素晴らしい伝道師も存在したようだが、ほとんどの伝導所が強制収容所と何ら変わらなかったという。カソリックの学校に学んだ私にとっては大変ショックな話である。また、1850年頃のゴールド・ラッシュの最初の2年間だけで、鉱夫達に10万人も虐殺されたという話もある。ゴールド・ラッシュで繁栄した「夢のカリフォルニア」の代償はあまりにも高かったのだ。

*ユロック族(オレゴン州境近くのクラマス河畔)

ユロック族の貝とビーズのネックレス。(©Takeo Koshikawa)

開かれた部族構成、生の神秘を感じさせる儀式
シャイアン、オジブエ等の五大湖を中心としたアルゴンキン語族系で、カリフォルニアではウィヨット族と2部族のみである。1万年近く前から居住してきたと言われており、14世紀からクラマス川でも本格的にサーモン漁を行い暮らしていた。1775年スペイン人の侵入、そして1850年のゴールド・ラッシュによる疫病と虐殺によって人口が激減。1855年クラマス&サーモンリバー・インディアン戦争が勃発、鉱夫達と闘い、結果、連邦政府により居留地と定められ、現在まで7つの居留地に居住してきた。

1993年、ユロック族は連邦法により、正式に多くの部族メンバーを受け入れる事ができ、メンバーは現在5千人を越え、カリフォルニアで一番大きな部族となった。しかし8割のメンバーは未だ貧困で苦しんでおり、大きな社会問題である。私は2000年にトリニダット市近くの居留地のセレモニーに招待され、明け方から昼頃まで、神聖な”浄化再生”のセレモニーに参加し、その密度の濃さに驚いた。それまで、ラコタ・スーやプエブロ族等のセレモニーには何度も参加したものの、カリフォルニアの居留地での本格的なセレモニーへの参加は初めてであった。彼らのダンスを写真に収めることはできなかったが、子宮の中を表現するというそのダンスの迫力に圧倒され、”生命の誕生”が不思議とイメージされるのには驚いた。その後、メンバーと共に、サーモンのバーベキューを頂き、まさに母なる大地に感謝を捧ぐ”生の醍醐味”を実感したことをまざまざと思い出す。

*ウィントゥン族(州都サクラメントの北西部、ヨーロ郡他)

メディスンマンに祝福される、ウィントゥン族のマケイ議長達。(©Takeo Koshikawa)

現代的なビジネスセンスに秀でるウィントン族
ウィントゥン族は、カリフォルニアで多いペヌート語族系に属し、数千年前に北から居住したと考えられ、北のシャスタ湖から南のサンフランシスコ湾に、ウィントゥ(北部)、ノムラキ(中部)、パットウィン(南部)の3つのグループに分かれていた。現在は7つのトライブに別れており、総計2,500人ほどだ。その中で、ヨチャデヒィ・トライブはメンバーが60名ほどのトライブながら、カジノ&リゾート経営で大成功し、現在大変な影響力を持っている。トライブが位置するヨーロ郡で一番の大企業であり、スタッフは4,000名を越え、近くの大学を始め多くの美術、博物館の教育文化事業をサポートしており、インディアンの悪いイメージを一掃した。また、彼らは私が共同プロデューサーとして関わった、デニス・バンクスのドキュメンタリー映画「死ぬには良い日だ」のスポンサーでもある。

現代人にも多くの共感をよぶイシの知恵
カリフォルニア・インディアンと言えば、「イシ」と言われるくらい、ヤヒ族の生き残りであるイシは非常に有名である。実は、イシはウィントゥン族との混血であった。当初、ヤヒ族は、3千人もの人口を有していたが、虐殺と疫病で、ゴールド・ラッシュ後にイシとその家族だけになってしまう。そして、結局、最後はイシだけとなってしまい、1911年サクラメント近郊で保護される。当時、「原始人の生き残り」として話題になったが、最後は加州サンフランシスコ大学に引き取られ人類学者のクローバー教授らの研究に協力した。イシの死後、1961年にクローバー夫人が『イシ/北米最後の野生インディアン』と言う伝記を発表、78年にテレビ化、92年に映画化された。イシのあらゆる知恵や技術は、現代人も通じるものがあり、当時のインディアンのイメージを大きく変えた功績は大きい。

*ミウォク族(シスコ北部、マリン、ソノマ、コントラコスタ郡他)
ミウォク族というと、『スターウォーズ』の”イォーク”を思い出す。『スターウォーズ』を制作したジョージ・ルーカスの本拠地のあるマリン郡は、ミウォク族の土地の一部であるため、”イォーク”のアイディアが生まれたのである。私自身、すでに20年以上もマリン郡に住んでおり、ミウォク族の友人もいるのに、知らない事も結構多く、イォークに負けないくらい不思議な人々である。

ミウォク族も、ペヌート語族系に属し、5千年前ほどに居住したと考えられる。1770年には、人口1万人を越えていたが、1930年代の数百人への激減から回復し、現在は4,000人近くと言われている。ミウォク族は、平原シェラ(シェラネバダ西部他)、コースト(マリン、ソノマ郡)、レイク(レイク郡)、湾岸(コントラコスタ郡)の4つの大きなグループに分かれる。平原シェラ・グループは、木の実や野草採取、狩猟、その他は貝採取も含めた漁業を中心に生活したと思われ、現在は16のグループに分かれている。

ミウォク族のウーンデッド・ニー(右)とその友人、2008年。(©Takeo Koshikawa)


「聖地保護」に奔走する現役の長老/ウーンデッド・ニー

ウーンデッド・ニーは、1978年に”ロンゲスト・ウォーク”で初めて出会った私の友人であり、上記画像は2008年の”ロンゲスト・ウォーク2″時に撮影されたものである。ニックネームの由来は、1973年のウーンデッド・ニー占拠事件だ。現在ミウォク族のみならず、サンフランシスコのインディアン・コミュニティのリーダーであり、運動家でもある。運動家として70歳近くの現在も現役を通しており、今でも先頭に立つ。1年ほど前にも訪日もした親日家であるが、どことなく”イォーク”に顔が似ているかもしれない。

現在、ウーンデッド・ニー達は、サンフランシスコ湾北東部のグレン・コヴ(入江)地区の「聖地保護」の運動に力を入れている。グレン・コヴは、今から3500年前に、ミウォク、オローニ、ポモ等の各部族の聖地であった。20世紀初頭より、文化人類学者等の発掘調査が始まり、遺骨や埋葬品が不法に持ち出されてきたので、10年ほど前から反対運動を展開しているのだが、なかなか難しいようだ。なお、この「聖地保護」の話は後編に繋げたい。

ミウォク・ダンサーの踊り、2008年。(©Takeo Koshikawa)

オール・マイ・リレーションズ(全ての活けとして生きるものに捧ぐ)

越川 威夫(Takeo Koshikawa)
カリフォルニア州・サンラファエル在住。
映画制作者/ナワ・カミッグ・インスティチュート(デニス・バンクスらのNPO)アドバイザー/ピアザトレーディング株式会社役員。
ネイティヴ・アメリカンと長年にわたり交流を持ち、その文化に造詣が深い。
デニス・バンクスの自伝『死ぬには良い日だ』(2010年;三五館発行)共訳者。
ドキュメンタリー映画『死ぬには良い日だ』、『ナワカミッグ・インディアンドラムは鳴り止まず』他プロデューサー。

※第6回はカリフォルニア・インディアン後編です。ご期待下さい!

(本コラムは楽天市場レイトレイシー原宿表参道店メルマガ会員向けに2012年2月22日配信されたものです)